檜皮葺
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檜皮葺
長い伝統と固有の屋根葺技術
檜皮葺は、千数百年の長い伝統技術に裏打ちされて日本独自に発達を遂げた屋根葺技術です。
世界遺産に登録されている厳島神社の社殿群に代表される檜皮屋根は、優美で華麗な曲線美や軒の深い躍動感あふれる大屋根構造を可能にしました。
檜皮葺は、古くは貴族の邸宅や社寺建築に多用されていましたが、今では京都御所の建物群や社寺等の伝統的な古建築に残されているのみです。
国宝・重文などの檜皮葺建物の屋根は、檜皮の耐久年限とされる三十~四十年の周期で適時葺き替えられ、建物を風雨から守ってきました。
熟練の技で檜皮を拵える
下仕事あるいは皮切りともいい、熟練した技能者の手によって各種の葺材に仕立てられます。
檜皮拵えは檜または松や檜の丸太を輪切りにした当(あて)と呼ばれる作業台と特殊な檜皮包丁で行われ、「洗皮」と「綴皮」の二工程があります。
前者は原皮を用途別に仕分ける工程、後者は仕分けた素材をそれぞれ規定通りに綴り合わす工程で、皮拵えのうちでも最も熟練を必要とする作業です。
檜の特質と檜皮葺
檜は杉とともに日本を代表する固有の針葉樹で、耐久力があり、粘り強く狂いが少ない上、仕上がりは美しく、独特の芳香を持つ樹脂を含み、さらに腐食に強く、世界で最も優れた建築材として広く知られています。
檜が建築材として利用され始めるのは弥生時代以降のことですが、西日本一帯で檜の巨木が多量に伐採され始めたのは仏教伝来に伴う寺院建築の造営によるものでした。中でも藤原京や平城京の都城の造営は、畿内周辺部での檜を伐りつくし、近江の田上山を禿山にしたとも伝えられています。
飛鳥・奈良時代における檜の伐採は、派生材として多量の檜皮を生み出し、これが屋根葺材へと活用されたであろうことは容易に想像されます。恐らくは各所の「作業所」での仮設建物の屋根葺に用いられたのに始まり、次第にその有用性が認識され、材木とともに建築現場へと運ばれ、付属建物や住宅へと広まり、やがては日本固有の屋根へと変化発達していったものと思われます。
葺始めは軒先から竹釘で留める檜皮
檜皮葺は専門の「葺師」によって行われます。軒先の部分から始まり、軒付皮を旧規に倣い厚く積み上げて手斧切り仕上げの後、水切銅板や上目皮を張り、平皮を竹釘によって留めながら葺き上がっていきます。隅は雨水の滞留によって傷みやすいため、入念に施工されます。平葺が完了すると、棟に品軒を積み、箱棟を組み立てて屋根葺工程を完了します。
檜皮葺や柿葺に使われる竹釘は、かつては真竹を用いて葺師自作のものが使われていましたが、今では専門職人によって製造され、素材も孟宗竹が多用されるようになっています。ちなみに檜皮葺に使用される竹釘は、一坪(三・三平方・)当たり平葺箇所で二千四百~三千本という膨大な量が必要とされています。
檜皮葺は優良な檜皮を調達する「原皮師」、膨大な留釘を製作する「竹釘師」、屋根を葺く「葺師」の三位一体の伝統技術によって支えられています。
竹釘
専門職人「竹釘師」によって製造されています
檜皮葺や柿葺に使われる竹釘は、葺師白作のものが使われていましたが、今では専門職人「竹釘師」によって製造され、素材も真竹が多用されるようになりました。
通常竹を長さ3.6cm、径3mm 程度に裁断した後、天日乾燥させ焙煎します。
檜皮葺に使用される竹釘は、一坪(3.3平方メートル)当たり平葺箇所で2400~3000本という膨大な量が必要とされています。
「葺師」は竹釘を20~30本ほど口の中に含み、舌先で1本ずつ向きを揃えて選りだしては「屋根かな」(金槌)のふせ金部分にあてがい葺材に打ち込み、つち頭で数回たたき留めていきます。
片手は葺材を押さえたまま、もう片方の手だけで竹釘を打つ技術です。
檜皮葺などは30年~40年で葺き替えなくてはなりませんが、竹釘は葺き替え時期がきても傷みがありません。
檜皮
樹齢100年以上の檜から採取します
耐久力や保存力にすぐれた檜皮は、古くから日本固有の特殊な方法で生産されます。
檜皮を採取する技術者を「原皮師」(もとかわし)と呼んでいます。
木べら、振り縄(縄の両端に長さ40cm、太さ3cmほどの振り棒を結びつけたもの)、腰鉈(こしなた)などの道具を使い、檜の100年以上に生長したものを立本のまま、内樹皮を傷つけないよう外樹皮を剥ぎ取る方法です。
檜皮の採取時期は土地の気候と寒暖によって多少の違いはありますが、採取する立木への負担を考慮して、8月の盆頃から翌年の4月中旬までの栄養水分の流動の少ない期間に行い
ます。檜皮葺の仕上がりや耐久性は、材料の檜皮の艮否に負うところが大きく、檜皮採取は檜皮葺建造物の保存に欠くことのできない重要な技術です。